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子どもに「大人はなぜ働くの?」と聞かれたら

2013.03.10



第1回 子どもに「大人はなぜ働くの?」と聞かれたら

「葉っぱを売る」というシンプルな仕事が生き方を変えた
武田 斉紀  【プロフィール】

「大人はなぜ働くの?」に、あなたはどう答えるか

 「大人はなぜ働くの?」。子どもにそう聞かれたことはないだろうか。あなたにお子さんがいれば、いつかは聞かれる質問かもしれない。その時あなたは何と答えるだろう。

 「生きるためだよ。だって働いてお金を稼がないと食べていけないでしょ」。あなたの答えに子どもはある程度納得するだろうが、どんな表情を浮かべるだろうか。「大人っていいなあ、早くなりたいなあ」と目を輝かせているだろうか。

 「がんばって働いていっぱい稼げば、欲しいものが何でも買えるんだよ。素敵だと思わないか」。ろくに食べ物さえなかった戦後の時代ならさておき、DSもPSPもほしいものは買ってもらえる時代に、子どもたちは大きな夢を描くだろうか。

 「どうして人は大人になると働くのか」。数年前に私はこの質問に直面することになった。ある大手教育会社から、大学生が就職活動(シューカツ)に臨むための講義テキストを作成してほしいと頼まれたのだ。

 就活のノウハウを教えるだけの主旨なら断っていたと思う。だが担当者の思いは、「働くということを根本から学生たちにわからせてほしい」ということだった。企業の担当者も付け焼刃のノウハウなど見抜いてしまうだろう。それよりも本人たちのためにも、時間のある学生のうちにこれから取り組む仕事についてじっくり考えさせたい、と。

 テキストの構成を考えるにあたって、私は何から書き始めようかと考えた。しかし何度考えても、第1章の第1項は「なぜ働くの?」という疑問詞に行きついてしまった。タイトルは「なぜ社会に出るの?働くの?」、そして、「社会で働く意味と意義について考えてみよう」というサブタイトルでテキストは始まった。

 私が学生たちに返した答えはこうだ。「生活をするためには、さまざまなモノやサービスが必要です。今朝起きてから、使ったものすべてを思い出してみてください。人間はこれらのすべてを一人では用意できません。そこで社会を作り、それぞれが役割を分担して、モノやサービスを生みだしているのです。これが働くということです」

 「働くことでモノやサービスを生み出し、対価としてお金を得て、他の人が生み出してくれたモノやサービスを買うことで、必要なものをそろえて暮らしているのです」

働く理由が、“義務だから”や“生活のため”だけではもったいない

 つまり、働くことは社会の一員である大人にとって、権利ではなく義務なのだ。生活に困らないだけのお金があるという人も、親と同居していて何とかなるという人も例外ではない。「長年お疲れ様、そろそろゆっくりしてください」と言われるまでは、大人は社会人として働く義務がある。

 義務と生活のために真面目に働いている人は、すでに立派な一人の大人であり社会人であると思うが、欲張りな私はそれだけでは人生がもったいないと考えてしまう。

 義務として働かなければいけない時間は、人生のどのくらいに当たるか計算してみたことがあるだろうか。寝ている時間を除けば、大人人生の約半分だ。通勤時間や仕事のことを思い出す夜や週末も含めればそれ以上かもしれない。

 “義務だから働く、生活のために働く”だけでは、一度きりしかない人生がもったいなさすぎないか。そう思っていたら、満面の笑顔で働く老人たちに出会った。

老人たちが葉っぱを売ることで手に入れたもの

 地域の老人たちは、それまで仕事もなく、暇を持て余しては昼間から酒を呑み、縁側に集まって愚痴や他人の悪口ばかりを言っていた。山間の過疎の町に市内から働きにやってきた、ある若者は、彼らはこうしてそのまま死んでいくのだろうかと思ったという。

 数年後に老人たちは、この若者が持ちこんだ仕事を始めることで、愚痴や悪口を言っている暇などないくらい忙しく働き、生き生きとした余生を過ごすことになった。マスコミに何度か取り上げられていたので、ご存じの方も多いだろう。徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」の話だ。

 町の人口はわずか2000人で、2人に1人は65歳以上という、近い将来の日本の縮図のような高齢者の町。「葉っぱ」とは、懐石料理を華やかに彩る“つまもの”のことだ。

 ただの葉っぱを育てて売ることで、年収1000万円を稼いで家を新築したお婆ちゃんばかりが注目されているが、私は暇を持て余していた老人たちが仕事を得て、生き生きと暮らしている姿に注目している。

 町はかつて林業、さらにみかん農園と次々と地場産業を失い、働き手である息子たちは出稼ぎのために町を去っていった。老いた年寄りにできる仕事はない。自らも働いて家族の収入を少しでも支えたいが、細々となら自分たちで暮らせないことはない。すでに働く義務は果たしている。老人たちは“必ずしも働く必要はなかった”。

 彼らは働くことで何を手に入れたのか。お金も手に入れた。人によっては子どものために家を新築した人までいるという。それが羨ましくて葉っぱビジネスに参加した人もいた。しかし彼らが手にしたものは、お金以上に「生きがい」ではなかっただろうか。生きがいは毎日に笑顔を生み、彼らを健康にした。

 その若者(当時)、横石知二さん(葉っぱビジネスの会社、株式会社いろどり社長)がかつて町の方々で目にした、愚痴や他人の悪口ばかりを言う老人たちの姿は見かけなくなった。彼らは働くことで、働かないで余生を過ごすよりも、何倍も有意義な時間を過ごすことになったのだ。

 町には活気が溢れ、子どもや孫たちまでもが手伝いに帰ってきてくれるようになった。年金生活者だったお年寄りたちが、自ら稼いで税金を納めている。元気な人が増えて介護保険の適用が減っているそうだ。

単純に見える仕事も、突き詰めればその価値が見えてくる

 横石さんという希有な情熱家がいたからこそ、上勝町が生き返ったのは間違いないだろう。ぜひ同氏の著書『そうだ、葉っぱを売ろう!』(ソフトバンク クリエイティブ刊)他を読んでみてほしい。

 横石さんの活躍で有名になった葉っぱビジネスだが、他の地域の人たちも十分に参考にできると私は思う。それぞれの町にとっての葉っぱビジネスは何かを発見し、みんなで力を合わせて取り組めば、第二第三の上勝町は生まれるのだ。

 大切なのは、ただ葉っぱを集めて売るだけの仕事と考えるかどうかだ。老人たちは当初、「葉っぱを売るなんて、地元を馬鹿にしているのか」「葉っぱが売れたら苦労はしない」と、横石さんを非難したという。

 「こんな仕事」と思って切り捨てるか。やってみなければわからないと考えてまずはやってみて、工夫してみるか。そうしてお客様の求めるものを探り、よりいいものをめざしていくと、喜ばれて商品は売れ、見合った対価までいただくことができるものだ。

 食で四季を味わう懐石料理は、日本人の心を豊かにしてくれる。葉っぱを売るだけの仕事の価値は、俯瞰してみれば決して小さくない。健康で自然と調和した日本食は海外でも注目を集めている。元気に笑うお年寄りたちが採った葉っぱが、世界の人々を感動させる日も遠くないだろう。

 「こんな仕事」が日本中の人、世界中の人を幸せにし、自分自身の生きがいになることを、葉っぱの町の先輩たちが教えてくれているように私は思う。

仕事はラクな方が幸せか

 20代の頃、サラリーマンだった私は季節変動の大きい仕事をしていた。冬場は寝る時間もないくらい忙しいのだが、夏場は仕事が枯れた。それでも会社としては、年間トータルでは十分な利益を出していたし、給料をいただくことができた。

 生活に必要な給料をもらえるなら、仕事はできれば楽な方がいいという考え方もあるだろう。私自身も、忙しすぎてドラマティックな冬場の毎日を何とか乗り切りながら、夏場の仕事枯れの時期を楽しみにしていた。夏が来て暇ができたら何をやろうか、新しい趣味でも始めようかと胸が躍った。

 当時会社の人事制度は最先端を行っていて、フルフレックス制度に近かった。夏になるとみんな毎日午後1時ごろ出社しては、「今日は何をしようか」と話し合った。思いつくままに勉強会を始めてみるが、実践ではない練習問題に緊張感も達成感も感じられない。「暇なのはいいけれどつまらない」と溜息ばかりをつきながら、午後3時には会社を後にしていた。

 そんなサイクルを2年も回すと、寝る時間もないくらい忙しく、二度と嫌だと思った冬場の時期の方が充実感があったことに気が付いた。成長感もあったし、お客様が喜ぶ笑顔も、メンバーとの達成感もあった。結果を出すことで会社や周りから認められ、ご褒美ももらった。

 その時の自分は、上勝町のお年寄りたちが満面の笑顔に変わったのと同じような仕事の喜びを、体中で感じていたのだと思う。“義務だから働く、生活のために働く”だけでは、一度きりの人生がもったいない。

よく生きるために働く

 最初のページでご紹介した私の仕事、大学生に向けた働くことについて伝える講義テキストの話に戻る。「なぜ大人は働くの?」の項の最後に、私は「楽しく働くために」と題して次の文章を添えた。

 「十分な蓄えがある人を除けば、働くことで対価を得なければ暮らしていけません。(中略)ところが、すでに十分な蓄えがあるのに働き続ける人がいます。また定年を迎えて仕事を離れた途端に、元気を失くす人がいます。遊びは飽きるけれど、働くことは飽きないという人もいます」

 「人は社会に出て働くこと、社会に参加することで自分の存在意義を認識し、喜びを感じられる動物でもあるのです。働いている大人たちをよく観察してみてください。どんな顔をして働いているでしょうか。楽しそうに働いている人、無表情で働いている人、苦しそうに働いている人。一度きりの人生、あなたはどんな顔をして働きたいですか」

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 今回のシリーズ『よく生きるために働く』は、社長も部長も課長もメンバーも関係なく、すべての働く人にとっての大切なテーマではないかと思う。

 一人の大人として、社会人としては“義務だから働く、生活のために働く”のは言うまでもない。だがそれだけで、人は大人人生の半分以上を占める仕事の時間を幸せに過ごせるだろうか。

 働く目的や意義を考えることは、人の集合体である会社を元気にする、元気を保つ上でも欠かせない。「働く目的や意義を同じくする人たちと一緒に働ければ、人はもっと幸せに働ける。人生をよく生きる、幸せに過ごすことができる」からだ。

 このコラムシリーズが、読者のみなさんにとっての働く目的や意義を改めて考え、“よく生きる”ためのきっかけになれればと思う。