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「何の為に働っきょんな?」11
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さて、この2か月間「何の為に働いているのか?」しっかり考えました。
そして、次が私の現時点での「何の為に働っきょんな?」の答えです。


     ☆ ロハス村の結論

         /\
       /   \
      /     \
     /  夢    \
    /          \
   /―――――――― \
  /               \
 /      愛          \
/                    \ 
――――――――――――――――

上記の図のように夢の実現のためにロマンをもって働きたい。でも、夢の下側には必ず愛がなければなりません。
愛がない夢の実現なんて空しいだけだというのも体験してきました。

そして、ある僧侶曰く。
人間は、誰しも幸せになりたいと願って生きている。


【人間の幸福には】

(1)人に愛されること、
(2)人にほめられること、
(3)人の役に立つこと、
(4)人から必要とされること

の4つがあるが、(1)以外は働くことによって得られるという。またそれらを追求していく中で、(1)人に愛されることの幸せも実現するかもしれない、と。一生懸命に働くだけでも幸せはやってくる。

最後に私の結論としては、仕事は、お金や生きるためだけにしてるのじゃなく、働きを通じて自分自身が笑顔になり、その笑顔で相手を笑顔にして平和で明るい世の中づくりの為に働いているのだと考えます。

そして、それらを外部に向けた発信が経営理念になりました。

【経営理念】
ロハス村は、健康や元気と共に夢や希望のご提供をして、あなたの笑顔づくりに役立ちます。

そして、こうした自分なりの「何の為に働っきょんな?」の考え方を持つことで

稲盛和夫氏の成功の方式…
《人生・仕事の結果=考え方×能力×熱意》

に当てはめると少しは結果も良くなるだろうと思っています。

もし、考え方が世界征服なんかのマイナス意識なら結果はマイナスですので使い方を間違わないようにしましょう。

これで僕のお話しは終わります。
お話しの機会を頂いた7支部のみなさま方に感謝しています。
ありがとうございました。

「何の為に働っきょんな?」10
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それと、
◆「出前セミナー」というのをやっています。

今、会社の中で鬱の人が増えていると聞きます。ロハス村にも何人かの社長様が、ご相談にみえたことが切っ掛けで出前セミナーの企画が出来ました。もし、部下が鬱になったらどのように対処したらいいのか?同僚が鬱になったらどんな声をかけてあげたらいいのか?産業カウンセラーの先生を派遣して社員さんの前でお話しをしてもらったり、アナウンサーの方を派遣してコミュニケーションの勉強会を開かせて頂いたりしています。

*心の健康もロハス村の仕事の一環としてやっています。

そのほか
◆ロハス村TVは、約200番組つくりYOUTUBEで流しています。

10年前神田昌典さんが10年後はインフラが整い個人でテレビ局を持てるような時代になると言われていました。
私は、いつかジャバネット高田社長のようにテレビショッピングに出て自分の口ひとつで何百万円も売る体験をしたいと思っています。そのために、今はパソコンの前で商品をもって高田社長のように甲高い声で商品の良いところを説明して番組作りをしています。一人でパソコンの前で喋っている姿を見て妻は不気味だと言いますが、それにもめげずに頑張っています。

そのほか
婚活アカデミーを同友会のメンバーとしたり
妻は、健康管理士の資格を取りよりお客様が元気になれるよう、より的確なアドバイスができるように勧めています。
また、船井幸雄先生が作ったにんげんクラブの香川支部の支部長も3月から始めスピチュアルと資本主義の両立を目指した会をつくっています。

あと、今後したいことは、
街の鉄人に先生になってもらって先人の知恵を伝えるカルチャースクールのようなセミナー、イベントで人の交流会をしたり。
色々な専門家が集まって「エコビレッジ」のような村を作ってみたいです。

さて、この2か月間「何の為に働いているのか?」しっかり考えました。
そして、次が私の現時点での「何の為に働っきょんな?」の答えです。


お話しは続く・・・(イヨイヨ最終回)

「何の為に働っきょんな?」?
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そして、
◆この本、被災者応援のためにできた「だいじょうぶたょ」小冊子のエピソードをお話しします。

私の仕入先、本物研究所で「あなたの夢のお手伝い」という企画がありました。私は、「応援メッセージを書いた小冊子をかいて日本中を元気にしたい」と言う企画をだし…それが見事「共感賞」を頂き、本物研さんがその企画を一緒に実現しましょうということになりました。そして、3月11日。
■震災が起きました。
あの阪神大震災の時に何もできなかったという思いがココロとカラダを動かします。「いつやるか?今でしょう!」てな感じです。
その思いが伝わったのか、ここに書かれている「だいじょうぶだょ」のメッセージがドンドン集まり、同じように小冊子を作るための寄付金も我々販売店、メーカーから集まりました。そして、とうとう5000冊の「だいじょうぶだよ」の小冊子が完成。そして、それを販売店皆で一冊一冊売り続け、現在までに90万円を被災地の支援活動に寄付が出来ました。後残りが400冊程度が売れた時点でもう一度寄付をしようと活動中です。

◆あと、ロハス村寺子屋という若手の起業塾も1年半まえに始めました。

切っ掛けは、独立したての整体師さんがあるご縁でロハス村に来られました。その時、彼は月の売り上げが数万円でモチベーションも下がっていました。
そこで、「ロハス村で寺子屋でもして、毎月500円で経営を教えてあげるわー」と言ったのが切っ掛けで毎月一回6時半から10時位まで珈琲哲学で教えています。
ロハス村寺子屋は、私が30年間勉強してきたノウハウを500円で教えるとってもリーズナブルな勉強会です。たとえば、神田昌典さんの「全脳思考」を整体師の彼に教えたことで彼は出張整体からお店を持てるような奇跡が起こりました。お配りした紙にも書いていますが、長方形を3つに割ストーリーを書くだけでその通りになるというメソッドです。
整体師の彼は、いつかお店を持つと書いたとたん電話が鳴り家賃1万円でお店を持てるようになりました。(今は、利益も出るようになり正規の家賃を払っているようです。)そして、去年の夏には結婚もしました。給与も高くなりました。
また、60代の女性の方なんか毎回出席され今年の夢はデッカク世界旅行と言えるまでモチベーションが上がりました。これもみんなの話を聞いて夢を語れるようになったと喜ばれています。


お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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そして、もう一つこの世界に入った切っ掛けが従妹の兄ちゃんの死です。幼い頃から兄弟のように育った2つ上の従兄弟の死亡で人間死んだら終わりだと思いました。(今なら思いませんが、、、)
このとき、人の人生は不公平だと思いました。また、これが運命、因縁と私たちではどうしょうも無いものかとも嘆きました。

なくなった従兄弟は厄年で短い一生を終えました。その人生の内容も死との背中合わせの人生でした。
まずはじめに幼稚園の時従兄弟のお母さんが亡くなりました。
続いて、お父さんは事故で亡くなりました。おじさんはやっと定年になりこれから第二の人生と楽しむ時でした。
そして、結婚少しの間幸せそうでしたが次女が亡くなりました。
最後に、とうとう本人である自分が亡くなりました。従兄弟は、母、父、娘と三人の死をみとりそして、自分も行ってしまいました。
死んだら終わり。死んだら終わり。死んだら終わり。
残った、子供たち、奥さんは本当にかわいそうでした。

私は、健康や元気と共に夢や希望を提供したいしたいと思いはじめました。そして、みんなが元気になるよう応援するために働こうと決めました。2000年ころからアメリカで俗語として生まれたロハスという言葉を頂きロハスネット。お店を浸し見やすいロハス村にしました。

◆ロハスのいみは

Lifestyles (ライフスタイルズ)
Of
Health (ヘルス)
And
Sustainability (サシィティナビィリティー)

健康的で持続可能な資源の使い方をする暮らし方という直訳です。

◆まずは、健康食品や環境商材をネット販売で売り出そうと毎日毎日素人がページを創り上げます。腱鞘炎にもなりました。45歳からの再出発は思った以上に立ち上がりませんでした。
ネットの売上を見ても知り合いがお義理で買ってくれる程度でほとんどゼロの日々か続きました。
それでも不思議なことに挫けることはありませんでした。

メルマガも始めました。メルマガの記事には、商品の情報だけではなく元気になるようなエピソードも必ず入れるようにしました。今では225号一週間に一度出し4年以上続けています。おかげさまで喜んで下さる方もいらっしゃいます。

続いて2年目からチラシからDMに変え、その中にはロハス村の村長が感動したお話などを入れるようにしました。(これも入れています。)

また、取り扱っている商品は200アイテムほどあり、時々メーカーの先生をお呼びして商品の開発秘話から効果効能やお客様の体験談をお話ししていただいています。作った会社の方が直接お客様にお話をすることで商品だけでなくメーカーのファンになって頂き長くご利用いただいています。

◆それと、お客様とトコトン話し合おうということでフリーダイヤルを引いています。フリーダイヤルでは、北は北海道から南は沖縄までお客様ととことん話すようにしています。電話代は多少かかりますが、お客様は聞いてほしいことがあります。
ロハスは、お客様を元気にするために存在しています。なんも健康食品だけで元気になるわけではございません。体もココロも元気になればベストだと思っています。そのためには聞いてあげる。丁寧に教えてあげる。を実践しています。
長い人で1時間くらい話しますが、人材派遣をしていた時も最初のころは、1時間は十分話していましたので苦ではありませんでした。

通販なのでお会いすることはないのですが、初めてのお声を聴いてから1年もすると声が明るくなっており、ある方なんかは掛かってきたら旦那さんの悪口を1時間くらい話してすっきりすることで元気になっていましたが、今では悪口を言わなくなりました。

◆また、社会貢献になることも行っていこうと、知的障害者が織った「さをり織り」というものをコシノヒロコさんのお弟子さん 中野登志絵さんにデザインしてもらったテディベアを販売しています。障害者の賃金は月給1万円位だと聞いています。このテディベアを通して一般社会と障害者の架け橋になれたらと思っています。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」の特別編2
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それとね
自分の食べたいものがわかるようになってきたんですよ。
今日はゴボウが食べたいなぁ・・とか
今日はほうれん草がたべたいなぁ・・とか、すごく具体的にわかるんですね。
つまりそれって
今自分のカラダがどんな栄養を必要としてるかわかる
ってことなんですよね。
毎日食べたいものが変わるようになったんです。

“毎日食べたいものが変わりますか?”っていう質問を
都会の若い人と、熊本の田舎のお年寄りに聞いてみたらおもしろかったですよ。
熊本のお年寄りはほとんど手が上がったんです。
でも都会の若い人に聞いたら20人に一人ぐらいしか手が上がらなかったんですね。

今自分が必要としてるものがわかる
これが人間の本来のチカラなんですよ!

自分のカラダの状態がわからないボケたような状態になったてたら
何の栄養を必要としてるかわからないし
その栄養がカラダに入っても、カラダのどこに持って行っていいかわからないんです。

僕はこれは薬や化学調味料のせいだと思ってます。

薬って言うのは“症状を正常にもどすもの”じゃなくて
“症状と逆の効き目を持つ毒”を飲んでるんですね。

しかも生活の中に神経を直接刺激するものが多すぎるんですよ。
グルタミン酸(旨味調味料のもと)は確かに“うまい”と感じる神経を刺激するから
美味しくは感じるけど、それだけ!
塩だって塩味を感じる原因がNaCl(塩化ナトリウム)だってわかってから
その成分のみで作られてるんですよね。
それで塩は“体に悪い”とか“高血圧になる”とか言われ出したんですよ!
そりゃカラダに悪いの当たり前ですよね!
昔は海のミネラルとかビタミンとか色んなものが混ざって“塩”というものができてたんですよ。
ちゃんとそうやって作ってる塩の中には“血圧を下げる”効果があるものも
見つかってますからね。

砂糖もそうですよね。
科学的に作られた白砂糖はカラダに悪いですけど
天然の黒砂糖は健康食品ですからね。

天然の砂糖や塩は人間よりずーっと前からあるのに
それを人間が無理矢理作ってもかなうわけがないんですよ。

あとはね、現代の人は刺激を受けすぎなんですね。
東京を歩いてたらものすごい目が疲れるんですよ。
目に入るもの全部が動いてますからね。
テレビやパソコンの画面を見ててもそうです。
ずっとチカチカしてるじゃないですか。

でも田舎に行ったら景色なんてほとんどうごかないですよね。
今の人は昔の人の何万倍も目を使ってるんですよ。
“目は外に出た脳”って言われるぐらい脳に直接つながってますから
目をオーバーワークさせすぎるのは良くないでしょうね。

他にも刺激臭とか騒音が多いですからね。
常に神経(=人間のセンサー)を刺激されてる状態なんですよね。
そりゃあずっとセンサーも刺激され続けたら効かなくなるでしょ?
だから自分のカラダの状態もわからないほど、神経がボケてしまってる人が多いんです。

僕は決して薬を否定はしないですけどね。
でも、薬が効かなくなった人にとっては最悪です。

何億年もかかって育ってきた自然を無視してカラダに良いわけがないんですよね。
今までの科学を否定するつもりはないですけどね。
それのお陰で感染症なんかはすごく減りましたから。

でもココまで来て“もう1回もとに戻そうよ”って言いたいんです。
自然も人のカラダもね。

今ね、すごく元気がある企業ってどんな企業かご存じですか??

実は“微生物技術”をもっている企業なんですよ。
21世紀は“発酵”の時代だって言われてます。

“発酵”ってすごいんですよ!
大きく2つすごいところがあるんですね。

1つは“低分子化”(分子をちっさくする)してカラダに吸収されやすくする。
もう1つは“解毒する”っていう作用があるんです。

よく納豆は大豆そのままより100倍カラダに良いっていいますけど
納豆が大豆より100倍パワーがあるんじゃなくて
100倍人のカラダに吸収される
ってことなんですよ。

食べ物って何でも少しは毒性を持っててね、
キャベツでも34個食べたら死んでしまうんです。
まぁそんなに食べられないですけどね。(笑)

でも発酵食品はそれらの毒を無毒化してくれるんです!

ほら、石川県の特産品に“フグの卵巣”っていう珍味が売られてるの知ってます??
フグの卵巣って普通は数グラム食べただけで即死する猛毒なんですよ。
でもそれを昔から伝わる製法で発酵させたら美味しく食べられるんですね。

だから発酵食品は毎日食べられるんです。
気づいてみると、どこの地方でも毎日食卓に並ぶものって“発酵食品”が多いんですよね。

僕はカリカセラピを買わなくてもいいから、みそ汁は毎日飲めっていつも言いますね。

カリカセラピもね、実は発酵食品なんですよ。
パパイヤってあらゆる果物の中で1番薬効が強いんですね。
でも外国でとれたものを日本にそのまま持ってきても日本人に合わない。
だから、パパイヤを日本の味噌技術で発酵させてるんです。
カリカは健康食品だけど、自然食品なんですよね。

自然じゃないとカラダが受け付けなくなって、効かなくなってくるんです。
サプリメントも同じですね。
自然じゃないからカラダが受け付けなくなってしまうんですよ。
さらに、自分で作り出すチカラもなくなってしまうんです。

最近流行のコエン●イムQ10も別に副作用はそれほど気にしなくていいと思うんです。
でも、自然のものじゃないからずっとつけていたら
自分で作り出すことができなくなり、吸収もできなくなるのが問題なんです。

もうこれからは“おぎなう”っていう考えをやめないといけない時代ですね。
そうしないと、本当の美しさとか、健康体にはなれないです。


カリカセラピはね、病気には一切効かないですよ。

カリカが魔法の薬なんじゃなくて、病気は自分で治したんです。
カリカはただ、“カラダを正しい状態にする”っていうだけなんですよ。
だから安全なんですね。

この仕事をしてるとね、よくこんなことを聞かれるんです。
“何がカラダにいいですか?”って。
そしたら僕こう答えるんですよ。

“カラダにいいものは、たくさんとれるものです。”ってね。
カリカセラピは1日にどんだけ食べてもらってもいいですからね。

カリカを食べるのはいつがいいですか??ってよく聞かれますけど
夜に食べるのがやっぱりオススメですね。
昼間は交感神経が活発に働いていて
夜は副交感神経が働くんです。
交感神経はカラダをシャキッと目覚めさせて
副交感神経はカラダを回復させますね。
ここにカリカをプラスするんです!

ダメージ→治す→ダメージ→治す→ダメージ→・・・

っていうのが“生きる”っていうことですからね。
カリカは栄養を足すのではなく、自分を活性化するんです。

SOD(抗酸化)食品っていうのがありますけど
SODは“還元力をおぎなう”
カリカは“自分に還元力がつく”
っていうものなんです。
(※ 還元力=抗酸化力 人間の細胞が酸化して衰えるのを防ぐ力)

人間は活性酸素をカタラーゼっていう酵素で水に変えて無害化するんですけど
この“酵素”が年と共に衰えていくんですね。
でもカリカはこの酵素自体を活性化してくれます。

人間って本当にすごくてね。
活性酸素もただのワルモノじゃないんですよ。
人間はこの活性酸素を使って、菌をやっつけたり、ガンをつぶしたりまでできるんです。
これが人の正常な能力なんですね。
この状態にもどすのが“カリカセラピ”です。

パパイヤって本当にすごいパワーをもってるんですよ!
よくカリカのパパイヤは無農薬栽培ですか??って聞かれるんですけど
パパイヤって実を食べて、種をプッとそこらへんに吐いておくだけで
勝手に育ってくるんですよ。それほど強い力があるんですね!!

これがカリカセラピに使用されている青パパイヤです。
これね、日本のパパイヤと明らかに違うところが1つあるんですけど
どこが違うかおわかりですか??」

スタッフ
「種・・ですか??」

花山さん
「そうっ!!!
日本のパパイヤは食用に品種改良されてますから種がこんなに入ってないんですよ。
種っていうのはこれから育っていく植物のエネルギーがギュッと凝縮されているわけですから
すごいエネルギーをもってるんですね!
だからどこの国でも主食になるのは“種”の部分なんですよ。
米とか、小麦、イモ類・・全部ね。

しかもフィリピンのパパイヤはたくさんの紫外線に耐えて育ってますから強いんですね!
数年前に実験したことがあるんですけど、沖縄のパパイヤでカリカを作ってみたんです。
でも、ダメでしたね。やっぱり紫外線量が足りないんだと思います。

このパパイヤを日本の味噌技術で発酵させるんですけど
工場ではこんな瓶(かめ)で作ってますね。
瓶は気泡(ちっさい穴)が無数にありますから
そこに発酵を助けるいい微生物がすみついてくれるんです。

やっぱり安定したものをお客様に提供するために
最低でも18?20ヶ月は熟成させますね。 」

もうここまでの話を聞いて、私はカリカセラピが単なるサプリメントや
健康食品とは一味ちがうものだということは十分にわかりました。

「日本っていう国はね、健康食品に関して何も規制が無いんですよ。
だからその辺りに生えてる草を粉にして“これが健康にいい”って
やろうと思えばできるんですね。
薬事法っていうのがありますけど、あれは“広告の方法”を規制するだけですからね。

だから何でもありなんですよ。
一見すごくカラダに良さそうなものでも、恐い製品はいっぱいあります。
本当に賢くなって、宣伝なんかに騙されないようにならないとダメですね!

でもねぇ
人間のチカラっていうのは時に想像を超えるんですよ。
余命1年って言われても、それは“今の化学で”という意味ですからね。
自分のチカラが100%働いたらもう何でもできますよ!
空でも飛べるんちがうかな!!って本気で思いますね。

食べ物にも感謝して、すごいものを食べてるんやっていう意識を
持って食べたほうが絶対にいいです!

“カリカセラピ”っていうのはこういう考え方そのものが製品なんですよ!
これを伝えないといけないんですよね。
だから、カリカは“きっかけ”にすぎないんですよ。 」

カリカセラピは病気を治すのではなく
病気に対抗できる、もともとの正常なカラダに戻す。
だから、安心してお客様にも食べていただけるんだと分かり私はこの時からカリカファンになりました。

*カリカにご興味のある方は下記をクリックしてみてください。
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「何の為に働っきょんな?」の特別編1
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僕は、カリカを飲み始めて、この仕事をするかどうか
カリカセラピの製造元?済度にお話を聞きに行きました。
その時の話をします。

◆カリカセラピ勉強会??済度本社にて?

花山さん
「僕は生まれも育ちも大阪の寝屋川でねぇ。
ちっちゃころからものすごいアレルギー体質だったんですよ。

気管支炎から、結膜炎、鼻炎・・
毎日薬!薬! 薬漬けの毎日でしたね。
アルデシン(鼻炎の薬)なんか毎日のように使ってました。
これを使い続けているとノドが異常に乾いたり
だんだん量を増やさないと効かなくなってきたりするんですよね。

でも僕は基本的に薬がキライじゃなかったんですよ!
だから医者に行くたび多めにもらっては使ってました。

でも20歳過ぎた頃ね、急にぶっ倒れたんですよ。
仕事場の非常階段で倒れたんですけど
だれも通らない場所やから結局しばらくして自分で起きあがって病院運ばれました。

そこでね、医者に診てもらったら
“白血球が通常の1/5しかない”
っていわれたんですね。
聞いたらストレスが原因やって。

白血球が1/5しかないってことは極端に免疫が弱い
まぁエイズに似たような状態ですね。

そんな状態だったから立て続けに“盲腸”にもかかってね。
手術したんですけど、術後しばらくしてすごいことが起きたんですよ・・

ある日お腹の包帯をとったら
お腹も包帯も血だらけ!
看護師さんもビックリしてはりました。

なぜそんなことになったかっていうと
免疫が極端に弱ってるからキズが閉じないんですね。
傷口が化膿して破裂してしまったんです。

それから何回手術してもキズが閉じなくてねぇ。
計15回手術しましたよ。
いつも再発におびえていました。

本当にあの手この手いろいろやりましたよ。
縫わない手術(開放創手術)とかね。

傷口を閉じずにガーゼを“かさぶた”のようにして閉じておくんですよ。
でも毎日そのガーゼを取り替えるのが痛くてねぇ?!!!
ベェリ ベリベリッ!!ってはぐんですけどもう死にそうでしたね。」

あまりの生々しさに思わず肩がすくんだ。

花山さん
「ただね、痛いのは不思議と慣れてくるんですよ
それよりも“カユイ”のがガマンできなかったですね!
でも内臓をかくわけにはいかないでしょ!?
かいてもらったら痛いけど気持ちいいんですね?。

僕けっこう根が明るい性格なんですけど
あのときは心も体もボッロボロでしたね。

ある朝髪の毛をかき上げたら本当にパラパラッって
髪の毛がごっそり抜けたんですよ。」

花山さんのトレードマークのスキンヘッドには実はこんな過去があったんですね。

花山さん
「だんだん“ウツ”のような状態にもなりました。
僕がなったのは“電話恐怖症”でしたね。
電話がなるとなぜかすごく怖いんですよ。

人間ってすごいもんでね!
薬に対しても“抗体”を作って抵抗するんですよ。
だから、どんどん新しいのに替わっていって
抗生物質だけで16種類ぐらい使いましたね。

最後にはねぇ、“麻酔”まで効かなくなったんですよ。
麻酔って実は何で効き目がでるか科学的にはわかってないんですよ。
とりあえず効くから使ってるって感じなんですね。
だからたまに歯医者さんなんかで麻酔事故で子供が死んでしまったりするんですよね。

14回目の手術は1番怖かったですね。
お腹を切り出したら“麻酔が効いてない”ってわかるんですよ!
でも医者も効いてないのはわかってるから
全員で押さえつけられて、縛られて、舌も噛めないようにタオルをかまされるんですよ。
それでジョキジョキお腹を切られていくんですね。

でね・・
あまりの痛みとショックで“心停止”起こしてしまったんです。
でも電気ショックですぐに蘇生させられましたけどね。

拷問ですよほんと!」

僕たちは話を聞いているだけで身の毛もよだつ思いだった。

花山さん
「でも人間ってほんとすごいですね。
15回目もやっぱり麻酔は効かなかったんですけど、何とか生き延びたんですね。

でね・・
15回目の手術のあとに父親から“カリカセラピ”が送られてきたんですよ。」

ここでようやく“カリカセラピ”が登場した。
花山さんの“カリカセラピ”に出会うまでの人生は本当に壮絶だった。

花山さん
「正直ね、あれだけの苦労をした後でしたから
“こんなんで治るわけないやろ!”って思ってましたね。

でも僕こんな顔やけど“甘党”でね!
甘い物だいすきなんですよ!
で、この“カリカセラピ”を食べてみたら単純に美味しかったんですね。
だから何となく1日1袋、続けて食べてたんですよ。

そしたら不思議としばらく再発しなかったんですね。
そのときはまさか“カリカセラピ”のお陰だとは全く思ってなかったですけど。

でも飲み始めて1ヶ月ぐらいして、何となく元気になってきてね
まさかこいつ(カリカセラピ)のせいかな?ってちょっとずつ思うようになったんですよ。

そんな時でしたね。
ちょうど大阪で“カリカセラピ”を作ってる会社の社長の講演会があったから
行ってみたんですね。

そしたら、社長と話す機会があって、自分の状態を話したら
“今日寝る前に3袋飲んでみてください”
って言われたんですね。

それでその日は言われたとおりに3袋飲んで寝てみました。

そしたらね!
次の日なにが違うって“気持ち”が全然違うんですよ!!
心と体って一つだと思うんですよね。
だから、どうしても体が弱ってると考えもマイナスになったり暗くなったり
でもその日は起きてみたらね
夏休みの朝の子供みたいな気持ち
だったんですよ!

今日は誰と何して遊ぼうかなぁ!!みたいなね。ワクワクした気持ちでした。

それからは早かったですね。
もう3ヶ月もすれば病気する前よりも元気な状態に戻ってましたからね。

そこで今の会社(カリカセラピの製造元:株式会社 済度)にスカウトされたんですよ。
まぁ、歩く広告塔って感じですね(笑)。

会社に入ってからもおもしろかったですよ?!
というか“何やこの会社は!?”と思いましたね。
なんせ会社に行くと毎日のように
“〇〇が治りました!!奇跡です!!”みたいな声がとびかってるんですよ!
おかしなとこやな?と思いましたね。
自分だけやないんかって感じです。

1回私が電話を受けた人の中にこんな人がいましてね。
“3日で〇〇が治ったんです!!”って興奮しながら電話がかかってきたんですよ。

今まで12年間勤めてきて計5回ぐらいそんな人がいましたね。」

信じられないような話ですが、花山さんの話にはやけに説得力と真実味があった。

花山さん
「日本人ってね、1番栄養をたくさんとれてるハズなんですよね。
でもやたらと変な病気が多いんですよ。
貧しい国の人は飢餓で死ぬ人はいても
先進国みたいに色んな病気する人いないんですよ。

日本では“健康には栄養バランスが大事”って言われますけど
海の近くの国の人なんか魚ばっかり食べてますし
肉と野草しか食べてないような国もありますよね。
でも彼らはそんなにしょっちゅう病気したりしないんですよ。

アレルギーって自己免疫疾患、つまり
自分で自分を攻撃してしまう病気なんですね。
僕も病気は再発しなくなったんですけど、アレルギーはなかなか治りませんでした。

でもね・・
ある時ピタッとでなくなったんですよ。
それと同時にね、味覚が変わったんですね。

僕お肉が大好きやったんですよ!!
中学校の時の弁当なんか毎日鶏肉が入ってて友達に笑われたぐらいですから!(笑)
でもある日ね、いつも行ってたラーメン屋に行ったんです。
そしたら突然吐いてしまったんですよ!
でね、そこのラーメン屋さんの厨房のぞいてみたら
ラーメン1杯に“●の素”をスプーン1杯もいれてたんですね!

つまり、“●の素”の味が食べれなくなったんですよ!


お話は続く・・・


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「何の為に働っきょんな?」?
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 僕は、人材派遣業界で生きていましたのでよく野村監督の育てた2人のキャッチャーのお話しをします。
古田選手、そして野村監督の息子・・・
同じように育てたのに結果は違う。

教育と採用どちらが大事ですか?と企業様に申し上げていました。
よく、教育と言いますが、教育だけでは才能を補いきれません。だからいい人材を取るためにお金を使いましょう。そのために人材派遣や人材紹介を使いましょう。と言っていました。

ただ、今となっては中小企業は、そんなにいい人材が来るわけでもありませんし、来たとしても受け入れる側がそのレベルに行っていない場合もありますので中小企業の場合は教育。共に育つ共育が大事ではないかと思います。

私の失敗は、「アーいい大学の人が入った。」とかいって昔からの社員。寝過ごした。やれ一般常識が分からない社員を育てることから逃げていたように思います。しかし、本当に楽しかったのは、どうしょうもない社員と共に説教をしながら酒を交わして「お前できるようになったのぉー」と言っていた時代が一番楽しかったです。

◆結局、人材派遣会社は辞めました。
また、ゼロからの出発です。

以前の人材派遣の会社では、

□ 最初「生きるために働き」
□ 続いて「世間で認められたいためで働き」
□ 次に「会社をつぶさんため」「社員の給与出すため」
□ そして、最後に「カッコ良くなるため・見栄のために働いていた」

その価値観は大きな失敗をもたらしました。

◆「心臓がバクバク」して大変な事に・・・

人間関係のドロドロした中で私は追い詰められ、ある日「心臓がバクバク」して大変な事になりました。
それまで心臓は勝手に働いてくれて意識することは無かったのですが、いったん心臓がバクバク言い出したら止めようと思っても止まらないんです。知識のない私はせいぜい「救心」でも買いに行かねばと思ったくらいで、友達に電話をするとそれは精神的なもんやと言われ、心療内科を進められました。
そして、病院での診断は不安症と言われました。そして、抗不安剤をくれ、毎日一錠飲むようになりました。3ヵ月後には薬は、1錠から2錠に増え、先生は軽い薬というのですが、お酒を飲むとすぐに酔うようになり、タクシーで帰って細道を歩いて帰るのですが、家の前の川に落ち込み手を擦りむき、背広はズタズタ。。。
これはマズイと思いました。

私は、これは絶対、お医者さんは軽い薬と言うけど抗不安剤のせいやと思い、翌日から薬は一切止めのした。

そして、船井幸雄さんの本でも紹介をされていたパパイヤのバランスサプリメント「カリカセラピPS-501」を飲むことにしました。すると朝の寝汗をかかなくなり、体も元気になったように思います。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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ある日、私が愛媛に出張の時、ひとりの社員から電話がかかり帰ったら会いたいとのことでした。

明日で駄目なのか?と聞くと今日じゃなくっちゃ駄目だと言うのです。
電話の声から察するに切羽詰った感じでした。

何があったんだろう??? 高松駅につき早々社員が待っている居酒屋に行きました。すると3人の社員が私を待っていました。
会うなり開口一番あの上司には着いていけないというのです。
そして、私たちを取るか上司を取るかどちらですかと迫ってきました。
理由は、・・・・・上司は独立するために以前僕たちに声をかけてきた人で・・・等々・・・と色々と言ってきました。

とにかく落ち着け、落ち着けと部下たちをなだめ・・・私はお茶を濁し・・・腹の中で計算をしました。

その上司は切れ者で、出来る人だったので、その能力が欲しかったですし、まあ、今組織を作ったばっかりやからそれに従ってくれと、私は仕組み優先で事を進めました。

結局、その判断が後々悲劇を生むことになるのですが、その時は部下たちの意思をくみ取ってやれませんでした。とにかく損か得か?シナリオに書いた組織図に事をはめ込んでいくことしか頭にありませんでした。今から考えたら分かるようなものですが・・・その後、居酒屋で談判してきた社員はポツリポツリと退職していきました。

◆そのころの私は「なんのためにはたらっきょんな?」は

香川県で一番カッコイイ人材派遣会社にしよう!といって働いていました。
カッコ良くして、カッコよく生きていくと・・・やっぱりカッコ良くすることでいい人材が集まってきていました。当時の良い社員の定義は、学歴が良い、仕事が切れる、売り上げをあげれる社員ということになります。
そして、さらにもっとカッコ良くするために◆高松中心地の亀井町の鹿島建設の1階100坪のビルに移転しました。

個人的には中古ですがベンツを買いまして、スーツやシャツは、三越オーダーメードで仕立て、それがブランディング戦略だと信じていました。今から思えば虚像を作っていただけに過ぎないと思います。

また、会社での賃金評価制度も年功序列から評価制度に切りかえて、できる社員が給料が高くなるようにしました。しかし、15人程度でこれを導入すると、できない社員は辞めざる得なくなります。能力重視で、とうとう私が直接面接をして雇った人間はいなくなりました。

それでも、馬鹿な私は組織が大きく変わる時は古参の社員が辞めていくのは良くある話で、仕方がないと強がっていました。ほんまにバカ社長でした。

◆そして、数年後自ら作り上げた会社を去らなければならなくなった・・・皮肉な結果になってしまうわけですが、私が居なくても成り立つ会社はとうとう出来上っていったわけです。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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しかし、念願の中央通りの1階のオフィスに移転をすると家賃も3倍近く高くなりハラハラすることもありました。

◆ちょうどその頃の新入社員が今日と同じテーマの「なんのために働っきょんですか?」と会議で言われたことがあります。
その頃の私のレベルでは、会社をつぶさんためや!
君らの給与をちょっとでも多く出すためや!
と答えました。

幾ら社屋が新しくなってもリーダーの考え方がこれではと新入社員の目が・・・
白けているのを感じずにはおれませんでした。

◆このころの「なんのためにはたらっきょんな?」は、

会社をつぶさんためや!
君らの給与をちょっとでも多く出すためや!

だったですが、、、
これでは、社員が燃え上がらんなぁーという感じが、ひしひしと伝わってきたのでこれは、どないかせなんだらいかんと思いました。でもねぇ?親会社の倒産の悲劇を見ているので怖かったんです。

でも、そのままでもいかんので「みんなが同級生に威張れるようなカッコイイ会社にしょぜ」というスローガンを立てて、だんだんと会社の立地は、中央通の1階。服装もパシッときめる、髪型を変えると等、外見上だけでも変えようと段々段々と変えていきました。
戦略もブランディング戦略というのを取り入れました。オフィスも2000万円かけて作られたブティックのパパス仕様なので言うことありません。

そんな風にブランディングを整えていきますと就職の面接も学歴の高い人が来るようになりました。そして、とうとう国立大学、早稲田大学の社員までもが入ってくるようになりました。
わが社も立派になったもんだぁーと誇らしく思ったりしていました。そして、より一層仕組みを作り、◆将来的には私が居なくても動く会社を目指していました。
ちょうどその頃ホリエモンとかセミリタイヤがカッコイイ時代で自分もカッコ良くいきたいと思っていました。

◆このころの「なんのためにはたらっきょんな?」は

カッコ良くなるために働いていた!
もう少し言うと「見栄の為に働いていた」ころです!

しかし、そんなときほどひずみが出るもんで。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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ドアつドアで飛び込み訪問が出来ます。
大声で「失礼します。わたくしこういうものですが・・・」
でも、2、3週間行けども行けども断られ続けると声も次第に小さくなっていきました。

◆それでも、何とか実績を上げるために毎日朝の8時?晩の10時11時まで働きました。時には「お前学生か」とか、「派遣といってもピンハネやないか」なんか、もう心もとない人たちから罵倒されたこともありました。それでも我慢しながら1ヶ月、2ヶ月飛び込み営業を続けました。それでも仕事はなかなか取れず3ヶ月目でやっと頂いたのが封筒のあて名書きでした。それから少しずつ仕事を頂くようになりました。
このころの「なんのために働っきょんな?」は生きるためです。
なんとて、生きていくために働いているという、まったく余裕はなかったです。
そして、少しずつ仕事も増え、それと共に社員も増えていきましたが、依然として生きていくために働いていたと思います。たぶん8年から9年は生きるために働いていました。

◆1993年同友会との出会いがありました。

私は、当時社員が辞めたり入ったりの繰り返しで自分はリーダーとして問題があるのではないかと真剣に悩んでいました。そんな時、一支部の東新電気の東社長から同友会のお誘いを受け、その時はサラリーマンでしたので会社は許してくれず自腹で入会しました。
当時、課長の私は、参加すると社長さんばっかりで緊張をしていましたし、カブで通っていたのは私だけだったので恥ずかしく横の隅に置いて例会に臨みました。いつか車で行くぞーと思ったのもその時でした。
同友会で勉強をして考え方や心も変わり始めると情勢も変わり始め私にとって大きな転機がやってきました。

◆親会社センコー産業から独立命令

と申しますのも、センコーグループの一番の親会社である兵庫銀行が大蔵省の管轄になり、銀行を立て直す一環として末端の子会社
私どものような、子会社をですね。
ある日、センコー産業の常務が来られて株を買い取ってくれと言って来ました。そして、独立をすることになりました。
そして、一年もせんうちに阪神大震災が起こりました。
センコー産業会社整理により同期テンでバラバラ
阪神大震災で兵庫銀行は、本社ビルを崩され、戦後初の銀行の破綻となってしまいました。それと共に1995年8月店頭上場まで上り詰めたセンコー産業が会社整理。50人いた同期もてんでバラバラになりました。子会社も半年くらいでバタバタバタと潰れていきました。
会社が倒産すると言うことは皆が不幸になるということを身をもって感じました。
その後山一證券、北海道拓殖銀行。そんな大きい所がドンドン潰れていく時代に入ってきました。
そして、倒産だけはしたくないなぁーと本間にトラウマが植えつけられました。
こんな大きな節目でサラリーマンから経営者となっていくわけです。

そして、そのころから人材派遣の流れが来はじめ社員も10名くらいになっており、同友会で習った夢を紙に書こうと事務所のイメージを書いてみると、念願の中央通りに進出することが出来ました。
それも偶然にもそごうが出来るため中央通りにあったパパスの店が急遽そごうにテナント入りしなければ成らなくなり空くと言うのです。内装費2000万円かけたお店がそのまま使えることになりました。下は木のフローリングと今までの
事務所とは見違えるようになりました。

◆このころの「なんのためにはたらっきょんな?」は、世間で認められたいために働いていました。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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13日間 地獄の訓練

私とグループ入社同期のY君と2人で行くことになりました。

何も聞かされていない私たちは、これから凄い地獄があるというのに「13日間も会社やすめるでー、良かったなぁー」「富士山のフモトで非常に空気の美味しい所やし」と言うようなワクワクした、気楽な気持ちで富士山のフモトにある「管理者養成学校」に向かいました。
それで電車でコトン、コトンと行くんですけども、だんだんと富士山のフモトに近づき、そこからバスに乗りつぎ民家ひとつ見えないフモトに、学校はありました。そして、バスから降りると、大の大人たちが肩を寄せ合い声を出して、オンオンと泣いているのです。
おい宗教か?異様な光景でした。

そして翌日からイヨイヨ訓練の開始です。

5時半起床、寒中摩擦と共にいよいよ訓練です。
いきなり白いワッパリのような作業着を着せられてですね。
ワッパリの前には20個のリボンがつけられます。

そう20の訓練があるのです。

それを13日間でこの20の訓練に合格すれば一個一個リボンが、のけられ、無くなれば卒業できるシステムでした。そして、リボンが全てなくならければ卒業できませんと怖そうな教官から説明がありました。
まあ、もちろん礼儀、挨拶は当たり前で食事でひじを付くなんてもってのほかです。食事の時間、風呂の時間も極端に短く、のろ間な私は常に怒られました。

訓練の内容は40キロ夜間行進などの体力訓練、暗記訓練、態度、感情を前面に押し出せるよう駅前で一人、声を張り上げて校歌を歌ったりする訓練など色々な訓練がありました。
訓練が合格するごとに一つ一つリボンが取り外されます。
全国から色々な人が集まってくるのですが、30代、40代、のおじさんたちも一緒に訓練をします。年配者は暗記が苦手で、教官にボロかすに怒られます。「お前はやる気あるんか!」と言われていました。当然私も怒られ本当の地獄の訓練でした。

しかし、そんな地獄の訓練を受けたおかげで、まあ帰ってから飛び込み営業に早速出たわけですけれども、最初の一週間二週間何にも怖いものが無かったです。この地獄訓練は私に飛び込み営業をする時の勇気を与えてくれたように思います。

地獄の訓練から帰ってきた私は平常時の3倍以上のだみ声で、「失礼します。」と全く知らない会社のドアをチュウチョすることなくトントンと叩いて開けて、飛び込んで行けました。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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まずは、大学時代の就職活動のころのお話しです。
私のころの就職活動も厳しく、就職ブックを作って頑張っていました。
その頃のノートがありましたので読んでみます。

≪就職活動開始 10年後の俺を目指して≫

21歳の私には大きな夢がありました。

昭和60年 セーラ広告社に入社・・・わけが分からず一年過ぎる。
昭和61年 ラジオ放送の番組に参加。
昭和62年 瀬戸大橋にかけ四国をPRしょうという企画でイベント、ポスターなどに力をいれる。
昭和63年 瀬戸大橋関係ちなんだの店の広告を手がける。
昭和64年 瀬戸大橋完成。四国にも車の数が多くなり事故防止のポスターまたレストランのディスプレーの計画をする。
昭和65年 高松へ長渕剛を呼び高松の人々にありがたがられる。
昭和66年 小豆島に大スターを呼び小豆島ツワーを開く。
昭和67年 結婚。独身時代のことを本にして出版する。
昭和68年 高松の文化を呼び戻す。

と書かれています。
あのーこの当時は、まだ昭和が続くと思っていましたので昭和68年まで書かれていました。

今読み返してみて人間「夢」を持つことは凄く大切だと感じます。

最後に私は10年先も叫べる人間でありたいと思う。
そして、疑問を持ち続けていたい。
また、文化にたずさわり、四国の文化を個性的なものにしたい。と締めくくっています。

今読み返してみて。。。メチャメチャ「夢」あるやんか?と思いました。

◆はじめての社会人としての第一歩、なんのためにはたらっきょんな?は、「夢」を実現するために働くんやという感じだったと思います。

【就職】
そして、就職は兵庫銀行の子会社であるセンコー産業グループに決まり、広告などを作る出版部に配属になりました。ところが出版部というもののただの広告作りの部署でして文化の香りなんてひとかけらもなく2カ月で辞表を出しましたが受理されず悶々とした時に人材派遣の子会社が出来、だれか行くものおらんか?と募集があったのですぐに手をあげ転籍になりました。

【新規事業に転籍】
しめしめと思ったのもつかの間。
机一つと電話機一台、そして従業員は私一人からのスタートです。
その頃は、本屋さんに行っても人材派遣法が出来たばかりで本も何もなく、今のようにインターネットも在りませんでした。
金も無い予算も無いです。無い無い尽くしのスタートでした。
それでもメゲズニ大学生のふりをして、「卒論のテーマで人材派遣を取り上げるので御社のパンフレットを送ってくださいませんか?」と東京の大手の派遣会社に片っ端から電話またはハガキを出して資料を集めました。
そして、その中から料金はどのくらいするんか?
人材派遣法とはどんな内容なのか?
会社のシステムはどうなっているのか?
色々なところの会社の良いところを参考にパンフレットと仕事の流れを造りました。

それから、営業もしたことがなかったので13日間 富士のふもとの地獄の訓練に行って来いとの命令で参加しました。

お話しは続く・・・

「何の為に働っきょんな?」?
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こんにちわ。

先ほどご紹介にあずかりましたロハス村の鵜川と申します。

まず自己紹介なんですが、ロハスネットという会社は約4年半前にできた会社でして、日本で初めてコンサルティング会社を上場された船井幸雄さんがこれは本物だという健康食品や環境商材を販売している小売店として生まれました。

主な販売方法としては、ウェーブなどを使っての通信販売と店舗販売でやっています。
それ以外には、ロハス村寺子屋という起業家の勉強会を毎月定期的に開いたり、本物商品を開発された先生をお呼びしてのセミナーや社内に先生を派遣するの出前セミナーなんかも開いています。

まず「何のために働くか?」???メチャメチャ考えました。
そして、今日ある講師のお話しを聞いて「何の為に働くか?」これを分かるためには、まず目的と目標の違いを抑えておかなければならないことが、分かりましたのでそのことからお話しします。

目的と目標の分かる方?
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・
・・・・
これが、分かったような分からんような感じで曖昧なまま仕事をしていました。そして、これが、後程お話しします私が失敗をした原因にもなっていくのです。

今日、聞いたお話の中に、目標は、数字に置き換えられるもの。目標は文章でとらえるものと言っていました。

私的にとらえると、今月の目標売上1000万円
目的は、お客様の笑顔を増やすため。

勉強なら
○○大学に合格は、目標
そして、その目的は、医者になって病気の人を助けたい。

こんな感じですが、目的を持たないで目標ばかりを追いかけていると息が切れてしまいます。

◆インドの水がめのお話しをします。
同じ大きさの2つのカメにみずを移し変え一杯になればまた、片方のカメに移し変える。これを繰り返すと人間は狂う。
水を汲むという目標ばかりでは人は狂う。

この目的と目標の違いを踏まえて、私の「何の為に働っきょんな?」の失敗談をお話しします。

◆話す順番としては、

?大学卒業頃の志から入社してのギャップ
?入社した親会社が会社整理で独立時代
?第二創業のロハスネットの時代

この三つの体験談を柱に進めてまいります。

続きは後日・・・お楽しみに