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イチローから学んだこと、マー君に教えたこと・・・奥村幸治氏の講演会に行って来ました。

2015.10.09



イチローから学んだこと、マー君に教えたこと

講師は、イチロー選手がオリックス在籍中に イチロー選手の専属打撃投手を務められ「イチローの恋人」として マスコミにも多く紹介されていた奥村幸治さんです。

自身もプロ野球選手を目指し、夢を追いかけてきた経験を活かし、 現在は、「子ども達の体力や技術の向上と健全な心身の育成」を目的として、 多くの子ども達に野球を教えています。

そして、2011 年〜2013年と3年連続でカル・リプケン世界少年野球大会にて優勝を果たした。その裏側には、星野元監督から毎年1500万円の寄付があり子供たちを世界に送り出していたそうです。

この話、錦織選手が子供の頃に米国でテニス教育を受けたが、これを支えたのがソニーの副社長盛田氏が設立し、会長を務める基金「盛田正明テニス・ファンド」だった。というエピソードに似ていませんか?

トップは、人を育てるために援助を黙ってやっている。それが、やはり大人になったら大切だと思いました。

私達も、お世話になっている業界に何が出来るのだろうか考えたい。

そて、イチローのエピソードですが一杯ありすぎて書ききれませんが印象に残ったものをピックアップします。

【イチロー物語】

当時のオリックスは、非常にルールに厳しかったそうです。移動時も選手は同じ背広、ネクタイ、そして、音楽も聞けず新聞さえも読んではならない、門限もありと非常に型ぐるしい雰囲気だったそうです。
そんな中、イチローのグリップをギリギリまで持つ持ち方を変えろと命令されたのに変えずに二軍落ちになった事件がありました。イチローの体格でボールを遠くに打つためにはバットを長く持つことが合理的で、だからそのグリップの持ち方になっているのに、理由を聞くコーチはいなかったそうです。

二軍落ちになったイチローですが、頑固に持ち方は変えなかったそうです。もし、当時のイチローがグリップの持ち方を変えていたら今の記録は生まれていなかったかもしれません。

◆自分で考えて考えて出した答えは容易に変えない事。他人は無責任である。

その後、青木監督になるとがんじがらめのルールは無くなり、試合でパフォーマンスを見せることが仕事の目的になりました。ある日、飲んで朝帰りをすると青木監督がロビーにいて「おはよう」と出迎えてくれたそうです。青木監督も今歓楽街から帰ってきたところだったのです。
しかし、翌朝一番にグランドで走っていたのは青木監督でした。
それを見た選手は、自分が何をすべきなのか考え練習をするようになったと言います。ルールを守るための目標ではなく、目標達成のために自分は何をすべきか?という行動目標が選手に伝わりました。

またイチローに青木監督は、このシーズン何があってもお前を1番で使うからと言いました。去年2軍落ちになっていたイチローが燃えないわけがありません。イチロー選手は、日本最多安打記録210安打を達成しました。

◆リーダーの一言が選手を変える。

マダマダ講演は続きますが用事が出来たのでいったんペンを置きます。(続く)