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「シャボン玉石けん」森田隼人社長 心と体をクリーン

2010.07.11



「シャボン玉石けん」森田隼人社長 心と体をクリーンに洗い磨く

 全国に無添加石けんの素晴らしさを発信して、今日の「シャボン玉石けん株式会社」(北九州市若松区)の基礎を造り、大きく発展させた先代の代表取締役社長、森田光徳氏は9月17日に亡くなった。その跡を継いだのは、長男の31歳の森田隼人氏。先代の試行錯誤を大きな糧として、今一部企業の“責任逃れ”とも言うべき、目を覆う惨状の中、「シャボン玉の全従業員は、お客様の心を共通の意識とすることで、これからも先代の歩んだ偉大な道を踏み外すことなく歩んでいく」と溌剌(はつらつ)とした、清心さで語った。

 シャボン玉石けんは、先代の森田光徳社長の人生そのものであった。彼がいなければ「シャボン玉」の名前はなかった。60年代の高度経済成長期。電気洗濯機が時代の主流となる。それに連れ、従来の石けんから合成洗剤へと、大手含むメーカーはシフトする。シャボン玉も例外ではなかった。ところが、あるきっかけでシャボン玉は合成洗剤と決別する。

 森田社長 生まれる前の話です。71年、取引のあった国鉄(現JR)から洗車用にということで、無添剤粉石けんの注文が来ました。その頃、先代は体に赤い湿疹が出来るなどして悩まされていました。ところが、この無添剤粉石けんを使うと、それら湿疹が消えてしまった。それから、先代はその原因が今までの合成洗剤にあるということで、これらから決別しようとしました。

 だがその後は利潤追及ということで、長く苦労を味わうことになる。

 森田社長 そういっても、当時は合成洗剤が中心で、シャボン玉もそれを中心に、月8000万円ほどの利益を上げていました。多くの従業員を抱える以上は、簡単に合成洗剤との決別は出来ない状態だった。

 秘話がある。先代はそうした時期に血圧が200以上となり即入院。だが昭和1ケタ生まれの剛毅さで「人間はやがて必ず死ぬ。確かなことは自分の信じた道を突き進むことだ」の信念で、即座に退院して会社に顔を出すと全従業員を前に、合成洗剤を止め石けん一本でいくことを表明する。

 森田社長 それからが大変。月8000万円の売り上げが78万円となり、先代の見込みでは3年間の赤字だったが、それが17年間も続きました。その時、一方で先代は物書きを志望していたこともあり「自然流せっけん読本」を出して、石けんの素晴らしさを広く訴えていきました。

 こうした結果が今日へつながる。全国に拡がるシャボン玉愛好者は、先代のファンである。

 森田社長 大学を卒業すると即シャボン玉に入社。翌年に取締役。さらに翌年に副社長。これは「肩書が人を作る」の先代の考えからです。また、通常なら3年間は“丁稚奉公”でしょうが、私は先代45歳の時の子どもですから、大学卒業後3年間も東京で奉公していると、先代が亡くなることもある。生きているうちに、昔のことをしっかりと聞き、一緒に仕事をしておきたかった。そうしたことで即入社です。

 シャボン玉は「健康な体ときれいな水を守る」が基本理念。その実態とイメージはクリーン。そうした理念からは、最近の一部企業の無責任ぶりには憤りを覚える。

 森田社長 お客様が商品を選んでくださるには、長年培ったブランドの上に、初めてそこに、商品に対する信頼感をもっていただいています。それを裏切ったら、もう企業として成り立っていけない。最近のニュースで、そのことを特に感じています。また私どもの石けんは1個造るのに1週間と大変にコストがかかるが、それは先代が初めから分かった上で造ってきたもの。そこをお客様が認めてくださっているということなんです。その部分は、私ども企業のコアとして、全従業員の意識が完全に共有されております。

 31歳新社長。フレッシュさとともに、まずは偉大な父である先代の道を確かな足取りで、歩んでいるようだ。

 ≪わが座右の銘≫座右の銘は先代が厳しさの中に、少しの“遊び心”を示した「好信楽(こうしんらく)」。この言葉は、江戸中期の国学者で、著名な「古事記伝」を著した、本居宣長のものになるという。意味は「シャボン玉を好み、シャボン玉を信じ、シャボン玉とともに楽しむ」といったものだ。さまざまな職業や人生においても同様ということで、この言葉を座右の銘としている。

 ≪パソナルデータ≫

 ▼森田 隼人(もりた はやと)

 ▽生い立ち 1976年(昭51)8月13日、北九州市小倉北区生まれ。福岡県立戸畑高校から専修大学経営学部経営学科に進む。00年(平12)同学部卒業、同年シャボン玉石けん入社。01年(平13)取締役。02年(平14)取締役副社長。今年3月に4代目社長就任

 ▽家族 独身、一人暮らし

 ▽趣味 ボサノバを聴いたり、連休を利用した小旅行

 ▽お酒 ビール、焼酎、ウイスキーを嗜(たしな)む程度。ただし相手によって、雰囲気によって銘柄を合わせる柔軟派

 ▽カラオケ愛唱歌 「愛しき日々」「氷雨」

 ▽好きな食べ物 メンチカツ

 ▽愛車 トヨタプリウス。低公害車で環境面から理念とあう

 ▽健康法 近距離の外出は車を使わず歩く。住居から小倉の飲屋街にも歩く

 ▽愛読書 話題の本は漫画含め何でも。最近は浅田次郎「壬生義士伝」に感動

 ▽好きな女優・タレント 女子アナの西尾由佳理

 ▽身長・体重 168センチ、62キロ。

 ≪業績データ≫▽シャボン玉石けん株式会社 1910年(明43)雑貨問屋「森田範次郎商店」として創業。3年後の2010年(平22)には創業100周年を迎える。先代の故・森田光徳社長が「シャボン玉」ブランドを確立。工場見学者数は年間約1万人。資本金3億円。従業員数90人(うちパート20人)。平成19年8月決算のグループ売り上げは61億600万円。主力商品は無添加石けん。北九州市若松区南二島2の23の1、電093(791)4800。

 ≪オフィス拝見≫シャボン玉石けんの清潔な香りが漂う、総務課・末永幸子さん(29)。入社7年目。率先してシャボン玉へ入社した。「企業イメージが環境を大きなテーマとしていました。そして何より清潔な企業といった感じでした」と話す。

 入社後は、それらイメージがより現実に大きくなった。「社内には明るい笑顔が絶えません。皆さんがとても温かいのです」。そう言えば、先代の大きなスマイル写真が社長室には飾られている。「素晴らしい笑顔。あの笑顔がシャボン玉の魅力」。クリーンさと明るさ、そして温かさを一身に表したような、末永さんの笑顔だ。

 ≪新社長支える“黄門さま”≫シャボン玉の“副将軍”つまり水戸黄門と言えば元取締役工場長の井関巌さん(77)。亡くなった先代と年齢差は1歳上。そのため、今日の礎を築いた時代から工場長時代含む2人の厳しい苦労話は天国の先代と、この人にしか分からない。

 井関さんの人生は「石けん炊き」職人。その言葉を借りるなら「石けん炊きは10年で一人前」。それほどにシャボン玉の石けんへの“傾注”を思わせる。井関さんは75歳まで現役で過ごした。職人としては58年間だ。

 75歳で故郷の長崎佐世保に退いた。だが先代の容態が悪いということを知り、いても立ってもいられずに、状況を見ながら先代の自宅を訪ねた。その折、先代はこの古い“戦友”を、様態が悪いながらも着物姿で背筋を伸ばし迎えた。そして「遊んでいるなら、こちらへ出てこい」と誘った。この時、「先代は跡を継ぐ隼人を頼む」の“遺言”だったのだろうと、井関さんは思う。

 今、週1回朝6時20分のJRに乗り、若松へやって来る。佐世保帰着はその日夜9時過ぎ。だが井関さんは元気だ。隼人社長を盛り立てなければ、という使命からだろう。井関さんは「社長は先代が厳しく育てているから、しっかりと親の血を受け継いでいる。特に話すことは昔のシャボン玉の苦しい時代のこと。よく分かってくれます」と、高笑いこそ見せないが“黄門様”の事件解決後の、笑顔そのものだ。

[ 2007年11月28日 10:01]

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