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その日は朝早くから地震によって起こされた。

隣に寝ていた妻が飛び起き、僕を起こした。

「なんか、だいぶん揺れたで」

妻は北の窓を開けまだ薄暗い庭を見つめていた。

「寒いが!!!」

僕は妻に窓を閉めるように言ってまた布団に入った。

会社に行く前にテレビでは大した報道にはなっていなかった。

ところが「昼食に出て喫茶でテレビを見ていると阪神だ大変なことになっていた。

煙が上がりまるで戦争の映画のような風景が広がっていた。

私は事の重大さがまだ飲み込めていなかった。

家に帰ると妻も両親も大変なことになっていると僕に伝えた。

そして、私は神戸にいる友達に連絡をとると無事につながり、大丈夫の声を聞いて安心をした。

当時、私は会社員でもともとの親会社が兵庫銀行だった。

兵庫銀行は当時再建中だったが、この地震で倒産を余儀なくされた。

戦後初の銀行倒産だった。

その後、親がこければ子がこけるということで、僕の元親会社の株式会社センコー産業グループも倒産、会社整理等になってしまった。

そして、センコー産業会社整理により同期テンでバラバラ、

前向きに頑張ろうとしていた矢先阪神大震災

阪神大震災は我々のところにも大きな影響を及ぼしました。

しかし、会社が倒産すると言うことは皆が不幸になるということを身をもって感じました。

50人いた同期はてんでバラバラになりました。

その後山一證券、北海道拓殖銀行、百貨店のそごう。大きい所がドンドン潰れていく時代に入ってきました。

本当に震災は怖いです。

直接的な影響もあれば、私たちのように震災で人生が変わっていくこともあります。

とにかく助け合いましょう。

これがこれからの世の中には大切です。

震災で亡くなった人たちのご冥福をお祈りいたします。

ロハス村              村長



20年以上前の話だが大学に入学した時下宿で新入生歓迎コンパを奈良公園で開いてくれた。

これは山田荘の伝統行事で先輩が新入生に酒を振舞い親睦をはかる目的だ!

しかし、僕たち新入生は半端ではない。

前日の晩二回生が部屋にやってきて毎年救急車が来たり、帰りの近鉄線がゲロで一杯になると、驚かされる。

私たち一回生はビビッて夜も眠れなくなる。

そして、ある一人の一回性が紙コップの裏に楊枝で穴を開け先輩にビールをついで貰ってもコップを地べたに置いていると自然にビールが減る方法を考え出した。

よし、明日の新入生歓迎コンパの作戦は「紙コップの裏穴あき作戦」で行こう!!!!!

一回性約10人は全員この作戦で行く事にした。

ところが当日見事にその作戦は失敗した。

なぜなら

その作戦は、去年の一回生がそのまた去年の一回生がとった作戦と同一なものだった。

あまいんじゃーーーーー

そのコップ空にして地面に置けーーーーガーン

結局奈良公園で散々吐き、挙句の果てに近鉄電車で吐く奴も出た。


ちなみに私は気がつけばベットで寝ており、横にはゲロを吐いても良いように洗面器が置かれていた。

布団もゲロだらけになっていたのは最悪だった。

ダレが世話をするって。。。

それは二回生の役割である。

大学四年間この時期は相当ヤバイ時期だった。


さてさてあれから20年以上が経ちました。

明日は栗林公園であしたさぬきの人達も集まる花見があるそうだ。

3時からあるそうだ。

説明ココ

誰かゲロをはくまで飲み明かしませんか?

まずい・・・横に家族がいました。


楽しく飲みませんか?

私は少し遅れて参加しますがよろしくお願いします。


ロハス村                  村長


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今月の本物

「食べる水素」で元気ハツラツ
ロハス村の「爽快水素」
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夢抱いて就職をしたものの。。。
前回の話はココ http://lohasmura.ashita-sanuki.jp/e94614.html

出版部の頃の私




2ヶ月で夢破れて辞表届と10万円のボーナス

これはデすね

ところが早くも五月病になってしまいました。

思ったことをヤラセテクない。また、考えていた事と違う。

いわゆるわがままなんですが、文化的広告の仕事が出来ると思ったのが甘かったです。

やるのはセンコー産業の不動産広告のレイアウト。

それも毎日毎日上司に怒られて不満の積もる毎日でした。

まるで自分が自分でないような日々が過ぎていきました。

今から考えると社会人としての常識も、文章力も無い私にですね大事な仕事を任されるわけがないんです。

ただ、その時はもう本当にやってやるぞーと思いは強くありましたが、空回りだらけで、自分の実力も知らずに、他人を恨んでばかりいました。

まあ、そんなことをしている内に夏のボーナスが出たわけです。

しかし、その当時の私は耐え切れず初めて出た夏のボーナス10万円と共にこのボーナスは頂けませんと辞表を持っていきました。

まあ、それで辞表を受け取ってくれていたら、私がこうして皆さんの前で話す機会はなかったと思うのですが、、、、、

社長はワシが怒るのに耐えられなくなったんやろー。ワシはいつまでも居るわけでないけんな、もう少し耐えて頑張ってみたらどうなん!


今やめるんは根性なしと思われるでぇーと言って止めてくれました。

上司も同僚も先輩も辞めたらいかんでぇー辞めたらいかんでぇーと言ってくれました。

「そんなに言ってくれる人がいるのならもう一度頑張ってみたら」と親とも相談をして前代未聞の朝会でもう一度やります宣言をしたわけです。

これが

情けなく朝会でまたやります宣言!

です。

今私がこうして元気よく働かせて頂いているのも、あの時止めてくれた社長はじめ、O部長、先輩のKさん、Mさん、同僚のY地、O賀、O谷、たくさんの人の縁でここまで来れたなぁーと今になって感謝しています。

皆も就職すれば色々な場面で、自分の思い通りにならない事が多いと思うんですけども、私の経験から言うと、自分に合った仕事なんてすぐ分かるものではありません。

まず「石の上にも3年」と言うことわざの通り3年間は頑張ってみるんだという気持ちで前向きに、ただ耐えるんではなく、3年間で独立する位の気持ちで、仕事をすれば多分仕事は面白くなると思います。

仕事に追われるより追った方がはるかに充実します。これは本当です。

また、3年間経ってそれでも会わなければ転職も考えたら良いかも知れません。


高松大学で講演した時の内容です。

ロハス村                   村長



てらきちさんに書いてもらったステキな言葉です。

この言葉をもらった時はロハスの仕事とは縁遠い仕事でした。

飲み屋の帰りしなにライオン通りの片隅で書を書いていた一人の青年と出会いました。
私は酔った勢いと興味心で一枚書いてもらう事にしました。

彼は私の顔を数秒間真剣に見て、ササット筆を動かし書いてくれたのがこの文章です。

この文章は私の生き方を示されているようで元気を貰いました。

ととととところが。。。。

酔っていました。

家に帰るなり足かふらつき

バキ・・・ボキ・・・ちょっと表現が違うか?

とにかく額を踏みつけてしまい無残にも額のガラスが割れてしまいました。

てらきちさんゴメンナサイ泣き


その後しばらくして、私達が主催する例会にてらきちさんが講師として来てくれました。

てらきちさんのお話はとても私たちに勇気を与えてくれ、また環境問題の実態も教えてくれました。

そんなてらきちさんに私は額が割れてしまいガラスだけを分けてもらえないかと相談すると、当時の額の種類と今の物が変わっていてガラスだけを変えることは出来ませんでした。

仕方ありません。

どこかでガラスだけを探そうと・・・トボトボ・・・会場を後に

後ろから走ってくる足音

振り返るとてらきちさん

これ良かったら使ってください。

なななんと、新品の額をプレゼントしてくれました。

お金を払おうとしたのですが、これはプレゼントですからと受け取ってもらえませんでした。

器の大きい人でした。

それから私は額の文章に導かれるように数年後ロハスの道を目指す事になるのでした。


僕とてらきちさんのエピソードでした。


さて本題はココからです。


そんなてらきちさんが今日はミルキーウェイのマフラー展で書き下ろしをしてくれます。
11時?14時位の間いますのでもし良かったらお越しくださいませ。

あなただけの書下ろしをしてくれます。

代金はお心任せです。

心もはずむマフラー展

   小春日和のあたたかい日差しを身にまとうような
   心がほっこりほどけていく
   そんなマフラーを探してみませんか?

   
   日 時   平成21年2月2日(月)?13日(金) 10時?16時
          期間中は土曜日、日曜日も開いています。

    場 所   知的障害者通所更生施設ミルキーウェイ
          高松市三谷町3518-16
   電話受付: 087-840-1600

ロハス村                   村長

昨日からの続き・・・

永平寺の修行から帰ってイザ就職活動!

果たして鵜川は無事に就職できるのかワーイ

就職活動開始 10年後の俺を目指して

これはどう言う事かと言いますと、

その当時の就職の本にあなたの10年後を考えて、できれば書いてみて 、就職活動をすべきだとアドバイスがありました。

今回の体験談を話すに当たって、久々に学生時代の日記を読み返してみますと日記では、このように書いていました。


私は10年先も叫べる人間でありたいと思う。
そして、疑問を持ち続けていたい。
また、文化にたずさわり、四国の文化を個性的なものにしたい。

21歳の私には大きな夢がありました。


そして、10後の年表では
昭和60年 セーラ広告社に入社・・・わけが分からず一年過ぎる。
昭和61年 ラジオ放送の番組に参加。
昭和62年 瀬戸大橋にかけ四国をPRしょうという企画でイベント、ポスターなどに力をいれる。
昭和63年 瀬戸大橋関係ちなんだの店の広告を手がける。
昭和64年 瀬戸大橋完成。四国にも車の数が多くなり事故防止のポスターまたレストランのディスプレーの計画をする。
昭和65年 高松へ長渕剛を呼び高松の人々にありがたがられる。
昭和66年 小豆島に大スターを呼び小豆島ツワーを開く。
昭和67年 結婚。独身時代のことを本にして出版する。
昭和68年 高松の文化を呼び戻す。

と書かれています。
ま。あのーこの当時は、まだ昭和が続くと思っていましたので昭和68年まで書かれていました。


今読み返してみて人間「夢」を持つことは凄く大切だと感じます。
「夢」は人間に実力以上の力を与えます。
私のようなグウタラナ学生が、こんな夢を持つことでドンドン就職活動にチャレンジして行ったのです。


その後、セーラ広告社、センコー産業、セシール、なんぽ企画(現在のイマージュ)、牟礼印刷、マルナカ、西村ジョイそんな感じで 十数社 会社見学や会社訪問をさせて頂きました。
その中でも兵庫銀行の子会社であるセンコー産業に入社が決まりました。約50人の同期入社がおり、配属は希望していた、子会社のマンパワーセンコー(後に社名変更をしてメイト)と言う所になりました。でそこはセンコー産業の広告、チラシ作り、出版物を扱う仕事になるんですが、給与は128,000円からのスタートでした。取り合えず、四国の文化に触れられる仕事だと思っておりましたので、とてもうれしかった事を覚えています。


改めて昔を振り返ると四国の文化に触れた仕事をしたいと言う夢がありました。

今こうしてロハス村を立ち上げ20代の夢に向けて動き出している私が今ココにいます。
ありがたいことです。
感謝です。


こうして改めて過去を振り返ると自分のやりたい事は結局昔からあったと言う事でした。
これからもロハス村を頑張ります。

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ロハス村            村長


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今日は節分です。

この時期になると思い出すことがあります。
それは福井の永平寺に参禅と言う修行に参加したことのことです。




福井の友達の所へ遊びに行く位のお気楽気分がとんだ羽目にガーン

それでは私の修行での出来事を話します。

大学4回生前 永平寺7日間修行、血のしょんべん
なんのこっちゃと思うかもしれませんが・・・

私の頃は就職解禁日が決まっており、今のように早くは無かったです。

確か4回生の10月の1日が解禁日だったんですけども、やはり3回生の終わり位から就職どんなことしょうかなあーと言う事を、ちょくちょく友達と話していました。ただそう言いながらも生活は朝の4時とか5時に寝てお昼ごろ起きてバイトに行くという、全く朝昼が逆転をしたような生活をしていました。

さすがに就職を一年後に控えまして「これはいかんなぁーこういった昼夜の逆転の生活していたら就職してもしんどいでー」ということで、「なんか生活習慣が変えられて、心を入れかえられるような 例えば座禅をさせてくれるような所はないかなー」と下宿の同僚と話していました。「それなら自分の故郷、福井県に永平寺というお寺があるよ。」と言いました。彼が言うには、そこは参禅と言って「一般の人でも12000円?13000円くらいで一週間 座禅をさせてくれて、心を鍛えるにはもってこいや!」と言うのです。「もちろんショウジン料理3食 昼寝つきや言うからそこに行ったらどうなんや」と進められて「お そこ行ってみるわ・・・」その気になって4回生を前にした、春休みに早速参加することにしました。




 永平寺の写真

今でも鮮明に覚えています。永平寺に行ったのは3月1日で福井県の友人に連れて行ってもらいました。3月というのに永平寺の付近は私の腰くらいまでの雪がまだ積もっていました。また、そこに生えている木の枝を見ると雪の重みで下側をむいてのびていました。さぶうーーーー

まあーとにかく頑張ろうと思って・・・

起床は3:50 、すぐ 50分間の座禅 、その後正座で1時間半お経を読みます。
その後やっと朝ごはん。 しかし、箸の持ち方から茶碗の持ち方まで礼儀作法を指導されます。
そして掃除。これもまた、長い長い廊下をはだしでカガミ走りしながらの雑巾ぶきです。筋肉はパンパンです。
夜は講和、座禅と続き、夜9時消灯です。
食事もショウジン料理。おかゆ、麦飯、汁、こんこ、肉・魚は一切ありませんでした。2日もすれば座禅中に肉が目の前に浮かんできます。
そんな時は決まって雑念があることがバレお仕置きです。長い精神棒が私の肩に叩きつけられ、その棒が折れた事もありました。
静かな場でカランコロンと房の破片が転がる音だけが響き隣の人もピクリと姿勢が延びたと思います。


そんな修行が一日過ぎ、2日過ぎ、3日目に血の色をしたしょんべんが出て、さすがに福井の連れて来てくれた友人に電話をして「これはもう無理かもしれん、迎えに来てくれるか」と言ったんですけれども、福井の友人は、「お前それでいいのか?それ最後までやり遂げナンダラ就職できんで」と言われ「そしたら最後まで頑張ってみるわ」と言うことで最後まで頑張ることが出来ました。


その時に励ましてくれた友人 友人のブログはココ

体重も5キロくらいは減ったと思います。




 1週間で5?痩せました!

ただ、まあ、取り合えずやり遂げたことで少しの自身を持って就職活動に挑む姿勢作りが出来たと思います。

それから、いよいよ4回生になりまして・・・続きは明日の12時に見てねワーイ

メンズびぎ写真集in越前海岸









東尋坊での写真・・・右上の赤い所が怖いと当時言っていました。



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ロハス村             村長