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病と生きる 漫才コンビ「中川家」中川剛さん

2011.02.11



【ゆうゆうLife】漫才コンビ「中川家」中川剛さん(40)

 ■芸人さんはみな病気や「適当でええんちゃう」

 マイペースなボケを繰り出したかと思えば、動物の形態模写で笑わせる。兄弟漫才コンビ「中川家」のお兄ちゃんこと中川剛さん(40)は、変幻自在な芸で人気の売れっ子だ。だが、そんな剛さんには「パニック障害」で悩んだ過去があった。障害を克服した今、同じ病に悩む人にこんなエールを送る。「適当でええんちゃう?」(文 道丸摩耶)

【フォト】お笑い芸人、目立つ急性膵炎、大量飲酒で発症も

 28歳のころだから、12年前です。ご飯を食べていて、いきなりふらっとした。頭痛とか呼吸困難とかが、2、3時間おきに。1カ月で4つの病院を回りました。耳鼻科、整形外科、脳神経外科、内科。でも、何にもない。

 「大丈夫だ」と思うんですけど、舞台に出ると「また来るんちゃうか」と思う。怖くてお酒を飲む。酒を飲むと忘れるんですよ。ただ、次の日に尋常じゃないくらい(発作が)来る。で、またお酒飲んで。もう悪循環。最後に、精神的なもんかなと思って病院に行ったら、そこで「パニック障害や」と言われました。

 きっかけがなんだったかは分からないけど、今考えると人間関係とかかな。芸人には段階がある。ちょっと上の先輩とからんで、その先輩が仲介になってそのまた上の先輩とからんで、って。でも、ぼくらの場合はデビューして、いきなり上の先輩にからんでしまった。「何をしゃべっていいか分からん」みたいな悩みは持ってましたね。ずっと緊張してて、それがストレスやったと思います。

 息が苦しいし、電車に乗られへんし、車も、エレベーターも、なんでもかんでも怖くなる。いつ息吸っていいか分からん。一番困ったのは髪を切るとき。(美容師に)何回も止めてもらって、トイレに行くふりをした。仕事も、現場に行くまで時間がかかる。収録中もすぐ止めてもらう。

 当時はそんな病気誰も知らんから、「サボってる」と思われてたでしょうね。外傷もなければ、血液検査もレントゲンも悪いところはない。でも病名が分かって、ちょっと落ち着きました。それに、病院の先生が面白かった。「それでいいんですよ。芸人さんはみな病気や。普通の神経の人はいない」って。

 確かに、人に頭どつかれて喜ぶ仕事って、普通の人にはできへん。上司の頭をはたいて、お客さんが笑う。笑えば笑うほどほめられる。そんな仕事ないですよ。でも、病気になったいうことは、ぼくは芸人に向いてないんかな(笑い)。

 そのうち毎回飲む薬も忘れてしまった。あるとき、「薬取りにいかな」と急いで病院に行ったら、先生が「もう来なくていいです。普通に来られたじゃないですか」って。電車に乗れないことも忘れてしまってた。薬を飲んでたのは、1年くらいでしょうか。

 この病気って、まじめな人がなるんじゃないかな。ぼくも当時は、くそまじめやった。お笑いの世界や、「いじられる」ということをなんも知らんかったんです。

 「お前、アホやな」と言われると、「アホなんや」と思ってしまう。「兄貴やのに、ちっさいな。親違うんちゃう?」と言われると、「違うんかな?」とほんまに悩んでましたからね。向こうはいじってくれてるわけや。それをいじめられてると思ってた。いじられてなんぼ。すごいチャンスをもらってたのにね。

 症状がなくなったころには仕事も楽しめるようになってた。よくも悪くもええかげんになって。一度、どうでもええと思ったら人間は強いです。できんかったらできん、苦しかったら苦しい、とさらけ出した方が楽です。まずは打ち明けることじゃないですかね、自分の病気を。

 ぼくも病気を打ち明けて、先輩と仲良くなれた。仕事もやりやすくなった。「なんかお前、訳の分からん病気らしいな」とネタになって。「パニック」いうあだ名まで付けられて。みんなゲラゲラ笑ってて、そのうちに治ってた。

 今思うと、あれはなんやったんやと思う。たまに息とめてみたりするけど、もうならへん。なってくれたらええのに、と思いますけど、全然なれへんわ(笑い)。

【プロフィル】中川剛

 なかがわ・つよし 昭和45年、大阪府守口市生まれ。平成4年、吉本興業のタレント養成所「NSC大阪」に入門し、弟の礼二(れいじ)さんとコンビ結成。翌5年にデビューし、「上方漫才大賞新人賞(7年)」「ゴールデンアロー賞芸能賞(14年)」「M?1グランプリ」(13年)など、数々の賞に輝いている。