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幸せになる生活の法則

2011.12.22



幸せになる生活の法則

怠け空所愚者
朝起きて、最低の顔をしていないか。
1日に1度かならず目が覚める。
目が覚めるということは、生きていることの証。
ああ、今日も生きていてよかったと、機嫌よく起きるのが本当だ。

挨拶は人と人、心と心を結ぶ「金の鎖」である。
「おはよう」の一言に、自分が見事に表れる。
日常の当たり前の行為に、じっくり磨きをかけたい。

万事を想定して準備を整える。
たいていのことは成功する。
よい原因にはよい結果、悪い原因には悪い結果。

できない、難しい。
よくよく見ると実は、何もやっていないということがほとんどである。
やらなければできるようになるはずがない。
やるのは1日1回でよいのだ。

思いを込めて書けば、心が通じる。
たった一枚のハガキが、人を動かす。
伝えたいことは、迷わず一筆したためて、投函しよう。

なかなか手をつけない、またいつまでも終わらない。
それは、心に不平と不満、そして不安があるからだ。
「早く始めて、さっと終わる」習慣を身につければ、
頭の中はスッキリして、身も心も明るくなる。

話術が長けているだけでは、人の心を揺さぶることはできない。
話は、人間としての深さと真実が反映するもの。
人を感動させたければ、まず自分が真心を吐露することである。

クヨクヨ、グズグズ、イヤイヤ支払う。
出し惜しみして、渋面つくって支払われたら、
相手も買われた品物も面白くない。
ケチな人間には、ケチなようにしか周りは動いてくれない。

ウジウジして手をつけない。
手をつけてもイヤイヤやる、ダラダラやる。
それではダメだ。
今、ここで、自分がやらねば誰がやる。

押してダメなら引いてみる。
正面がダメなら裏へ行く。
当たり前に思えることでも、ちょっと見方を変えるとよい。
実に新鮮に見え、面白くなってくる。
固い頭では、新しい発想は浮ばない。


人は美しさを求めてやまない。
環境を美しくする掃除は、小我を捨てて大我に生きる、
きわめて日常的な修行なのだ。

病気は、自己向上のチャンス。
肉体が故障したら、心を点検するとよい。
心を軌道修正すれば病気は快方に向かう。

自分の仕事を誇りに思えない人は不幸だ。
「今」を全うできなければ、適職など見つからない。
あなたの意識はどの程度のものか、考えてみよう。

口から出た言葉は、現実化していく。
口先ではなく、心情のこもった言葉を遣っているだろうか。
言葉を軽視してはいけない。

今までいた応接室にどんな絵がかかっていたか、言えるだろうか。
自分の目はいったい何を見ていたのか。
見方がまだまだ足りない。

終点は次の出発点である。
後始末をしなければ、次の仕事が始められない。
迷わず、今すぐにやる習慣をつけたい。

日記は、自らの記録である。
反省ばかりでなく、
よかったこと、褒められたことも記しておきたい。 
来し方を綴った自分史は、未来への指針になる。

やればできる。
難しく考えたり、怠け半分でやるとできない。
できるようになれば、面白くなる。
研究のつもりでやれば、ますますよくなっていく。
もっと面白くなる。
愉快にやって収入も増えていく。

お金は大切だ。貧乏であるよりも豊かである方がよい。
だが、それがすべてではない。
この身一つで、今、ここにしか存在できないのが人間である。
すべてが借り物であることを自覚すれば、質素である方がよくなる。

迷うなら、臆せずやってみよう。
行動すれば、必ず結果が出る。
一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。

心配するな、何とかなる。
嵐の中でも時は経つもの。
人事を尽くしたら
騒がず天命を持つ心の余裕が必要だ。

張りつめた弓は簡単に切れてしまう。
自動車のハンドルに、適度な「遊び」がなかったら運転は難しい。
余裕のない人はとかく失敗が多い。
趣味を持つことで、本業を豊かにし、人間に幅を持たせよう。

出会いは一回限りのもの。
同じ形で出会うことは二度とない。
縁がなければ会えなかった、
その「時」をかけがえのないものとして捉えよう。

世の中に変わってほしい、人に変わってほしい、と思う人が多い。
火のない暖炉にいくら手をかざしていても、一向に暖かくはならない。
自分で薪をくべ、火を点けたらどうだろうか。
さっさと自分がやり、自分が変わってしまうことである。

弟子たちは皆、かたじけなさに涙をこぼした。
「この人のためだったら何でもやりたい」
そんな思いにさせた師匠とは、いったいどんな心持ちでいたのか。

誰しも嫌われたくないから、適当に愛想のよいことを言う。
だが、それでは人は育たない。
真の愛情があるなら、叱るべき時には、断固叱る勇気を持たねばならない。



耳は聞こえても、相手の心の声が全く聴こえない人がいる。
わだかまる自分の感情が第一で、他人の気持を理解できない。
話を聴く態度の中に、
相手を裁く気持ちが隠れていないだろうか。
それでは、心は貝のように閉ざされてしまう。

威張っている人間ほど鼻持ちならないものはない。
しかし、知らぬは本人ばかりなり。
臭気ぷんぷんとして気がつかない。
丸山敏雄の謙虚さに学び、わが身を振り返ってみたい。

のらりくらりと徹底しない生き方では、何も得られない。
全身全霊を傾け、完全燃焼してこそ物事は成就する。
とことんやり抜く気概を持つことである。

あなどってはいけない。
形がゆがめば、中身もゆがむ。
僅かな角度の狂いは、1キロも進んだ時に大きな誤差となる。
体の構え、ことにあたる時の態度は、結果を大きく左右する。

見る人は見ている。
何気ない挨拶、食事の仕方、電話の応対・・・・・・。
小さなことであればあるほど、正体が現れる。
小さなことが満足にできなくて、大きなことができる人はいない。


食べ物の好き嫌いは、「わがまま」に基づく。
「わがまま」は人にも仕事にも及ぶ。
人を困らせるだけではなく、自分の健康も損ねる。
出された食事も、与えられた仕事も喜ばなければバチが当たる。

男が女のように、女が男のようになった。
親は親らしさを失った。大人は子供になり、子供は大人に権利を主張する。
悪平等の社会は滅びる。男がしっかりしなくてはいけない。

男らしさが「陽の発動」であれば、女らしさは「陰の受容」である。
女性が生み出す素直な曇りのない優しさに支えられて、男らしさも発揮される。

後悔、悲しみ、悔しさ、喜び、憤慨、さまざまな時に人は涙を流す。
感情の高まりは無理に抑えない方がよい。
素直に泣けば、次のステップが開けてくる。

雨が降ったといっては嘆き、
寒いといっては不平不満。
夏の暑さも気に入らない。
いったいどうであればいいのか。
不満がいつしか習慣になっている人が多い。
こんな習慣は早くやめた方がよい。


悩みも苦しみも、自分の器が小さいから過敏に感じる。
気持ちを転換して、宇宙の視野から己を見直してみるとよい。
案外こんなちっぽけなことだったのか、と笑いたくなる。

賢者は愚者からも学ぶが、愚者は賢者からさえも学ばない。
学ぶべきことは、身の周りにいくらでもある。
見渡せば、ありとあらゆるものが、何かを教えている。

たった一つのこの行動が、成功の鍵となる。
まず習慣化させること。そうすると、自分が変わる。
人生が変われば世界も変わる。

中心を捉えることが成功のコツである。
核心から遠いことに力を注いでも成果はない。
生きている根本の理由を知り、感謝することは、
己自身を大切にすることにつながる。

世の中には、自分はどうするのかを決めない人が多い。
行く先を決めないで、汽車に乗り込む。
どこに着くのか、わからない人生なのに、そんなことをしている。
大丈夫だろうか。


「礼儀正しい」よりも「無礼」な方がよいのか?
「けじめがある」よりも「だらしない」方がよいのか?
決してそんなことはない。「形」を尊重しなければ、獣と変わるところはない。
拝むことができるのは、人間だけである。崇高な形式を軽んじていいのか。